投稿者「Toshi Nakayama」のアーカイブ

[読] Hay & Baayan: Shifting Paradigms

Hay, Jennifer B and R Harald Baayen. 2005. Shifting paradigms: Gradient structure in morphology. Trends Cogn Sci 9 (7): 342-348

【一言で】★★★★★

語の形に見られるパターン(活用パラダイムや派生など)を分析する基本的概念枠組みについての研究動向をまとめた論文。問題点と関連研究成果のポイントがわかりやすく整理されている。

パターンはあくまで一部類似した形を持つ語の間に見られる似かよりの体系として認識され記憶されているに過ぎないと考える。話者は語を分解した要素を記憶しそれを組み合わせて語を作り出しているわけではないとする。

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[書] 負ける体験としてのフィールドワーク

来年アジア・アフリカ言語文化研究所は設立50周年を迎えますが、その記念企画の一つである『人文学のフィールドサイエンス(仮)』に寄稿予定の原稿です。

専門外の読者にむけて、言語学でのフィールドワークを紹介しながら、フィールドワークをすることによってどのような事に気づき、自分の研究がどのように変容したのかを振り返ってみました。同時にそこから「フィールドワーク」という活動の意味を考えます。

読んでみたい!という方は[こちら]からダウンロードしてください。まだ草稿の段階ですが、コメント等ありましたら聞かせてください!

※2014-02-11:草稿改訂版に差し替えました

[読] Bock et. al. (2007) Persistent structural priming from language comprehension to language production

Bock, Kathryn, Gary S. Dell, Franklin Chang, and Kristine H. Onishi. 2007.  
“Persistent structural priming from language comprehension to language production.”
Cognition 104: 437-458.

[2014.2.10 院ゼミで議論]

【概要】

聞いた文の構造がその後で使う文構造の選択に影響を与えるか(例えば、受け身文を聞いた後には受け身構文を使った表現をしやすくなるか)という問いに関する実験の追実験。

【要点】

この研究の要点は、聞くという形で得た刺激が話すという別の感覚領域での活動を形づけることがあるかという点。聞いた文の構文から発話文の構文へのプライミングが確認できれば、聞いて理解するときに使っている構文知識と話すときに動員する構文知識は同一のものであると考えやすくなる。
論文ではプライミングは存在することが確認されたと結論づける。

【感想】
内容的には非常に興味をそそられるが、論文としては専門外の人間には非常に読みにくく、議論の流れも理解しにくかった。したがって、説得力のある結論なのかも確信が持てず、残念。

[読] 言葉と脳と心:失語症とは何か

山鳥 重「言葉と脳と心:失語症とは何か」

2014-01-26:読み始め

【関心を引くところ】

筆者は、言語の能力を失うという障害の原因を、脳損傷の部位ではなく、「心の働かせ方(さまざまな基本的認知能力の結びつきによって形成される意識の形)」の障害に求めるという考え方をとる。言語などの高次機能の障害は、脳の部位としての「中枢」の破壊が直接的に引き起こすというよりも、その高次機能を早発させている基本的領域の結びつきが大脳損傷によって切り離されてしまうことによって起こるとする。

この立場は、言語能力について私が取っている考え方と通じるところがある。私は、言語という能力が、「言語本能」や「言語中枢」といった脳内のハードウェアを想定して説明するのではなく、カテゴリー化をはじめとする基本的認知能力を基盤としてコミュニケーションという社会活動のなかで動的に形成されるものであると考えているので、非常に共感できる。

 

[読] Fortescue (2007) The typological position and theoretical status of polysynthesis

Fortescue, Michael. 2007. The typological position and theoretical status of polysynthesis. Tidsskrift for Sprogforskning 5 (1): 1-27

[read: 2014-01-18]

複統合的言語を一つのタイプとしてまとめるような構造的特性のセットを特定することができるかについて考察している。「複統合的言語」と呼ばれている言語の間にもかなり大きな差異があることを指摘している。

NOTES:

Goal of the paper (p. 2)

In search of a better way to characterize features that are common to languages displaying the overlapping cluster of polysynthesis.

Subtypes of polysynthetic morphology (p. 2)

a) Pure incorporating type: Chukchi
b) Field-affixing (Lexical affixing) type: Nuuchahnulth (Nootka)
c) Recursive suffixing type: Eskimo

* Recursive suffixing type “is not generally regarded as instantiating canonical incorporation since words in such languages, however long, may as a rule only contain one lexical morpheme”

Trait cluster that create the appearance of a distinct polysynthetic type (p. 2)

(a) Noun/adjective incorporation.
(b) A large inventory of bound morphemes (but restricted number of stems).
(c) The verb a minimal clause.
(d) Pronominal markers on verbs (subject/object) and nouns (possessor).
(e) Adverbial elements integrated into verbs.
(f) Numerous morphological ‘slots’.
(g) Productive morphophonemics and resultant complex allomorphy of bound and free morphemes.
(h) Non-configurational syntax.
(i) Head-marking (or double marking) type of inflection. “

 

Baker’s definition ‘real’ incorporation (p. 17)

“according to his definition ‘real’ incorporation is syntactic and solely concerns the incorporation of direct object nouns into their verbal heads (Baker 1996: 295)”

 

Features that suggest newer development of polysynthesis (p. 21)

(a) Lexical sources of derivational affixes transparent.
(b) Residual stress on incorporated or serialized stems.
(c) Strict adhesion to Bybee’s morpheme-ordering generalizations (derivation affixes closer to stem than inflection).
(d) Productivity of incorporation or morphological verb serialization.”

Features that suggest older polysynthesis (p. 21)

(a) Few if any lexical sources of derivational affixes to be found.
(b) No independent stress (or other individualizing prosodic marking) on incorporated morphemes.
(c) Entangled ordering of derivational and inflectional morphemes.
(d) Evidence of successive historical layering of affixes, with fossilization. 

Key characteristic of polysynthetic languages (p. 21)

“polysynthetic languages are different from other languages in the degree to which their predicate-formation rules may extend into and interact with the layered structure of the clause as a whole”

 

Common motivation for highly synthetic structure (p. 22)

“elaborate derivational potential of their verbal morphology. Derivational processes in these languages may apply not only to word stems but to whole phrases treated as stems despite any external manifestations of their own syntactic dependencies. Inflected verbs are minimal sentences in these languages, thus it is no surprise that the watertight distinction between the syntactic domains of words and sentences is blurred in them. “

[発表] 談話を見ることが文法研究になぜ必要なのか

2014年は元旦からアメリカ言語学会で発表(アルバータ大学の大野剛先生と共同)をしてきました。

この発表はアメリカ言語学会の危機言語委員会 (Committee on Endangered Languages and their Preservation) が企画した会話のドキュメンテーションについての特別セッションの一部として行いました。

我々の発表では、自然な談話のデータが文法の研究にとってどのような重要性を持っているのかということについて、我々が進めてきた沖縄宮古島の言葉の調査の中での経験に基づいて論じています。

発表スライドはこちらから。コメント歓迎です!

湿度の話から始まって

今朝職場の人に教えてもらって学び直しました。

天気予報などで言う「湿度」って、大気中に水分が溶けていられる許容量に対してどのくらい割合の水分量があるかということ。その許容量は気温によって変化する(気温が高いほど大気中に含まれうる水分量は多くなる)ので、同じ湿度でも気温が低いときには高い時ほど空気中の水分の絶対量は少ないと。

そして、湿度100%というと水中にいるのと同じかと思いきや、そういうことではなくて空気中の水分量がその温度での許容量一杯ということなので、水中にいるのよりもずいぶん乾燥している状態だよね。ちなみに許容量を越えると水滴になってしまい霧などになります。

どっかで習っていたと思うけど、覚えてないわ〜。
ま、忘れてしまうからこそ、目からウロコの驚きや関心の数が増えて、人生楽しくなるし、理科の授業とかで学び立ての子供にバカにされるかわいい大人であれるわけなので、いいね。

しかし、忘れてしまって日常的な直感にまかせるとおよそ「非科学的」理解に至ってしまうというところが、「科学的」理解の特徴をよく示してますね。「科学的理解」は人間の日常的感覚、視線から以下に脱却してものを捉えるかという挑戦と苦闘の積み重ねでできているわけですからね。

近代の科学の時代になってからその日常的感覚、直感的理解を「非科学的」として切り捨てる傾向が強いですが、どっちが正しくてどっちが間違いとかいうものでもないですよね。

最近はそうしたある意味非人間的な科学の方向を見直して、人間にとっての科学—人間のための科学という意味もあるし、人間視線での科学という意味もある—が問われてきていると思います。

私もその「人間にとっての科学とは何か」が最近の自分の研究の軸になってきました。

ひょんな朝のやり取りからこんなところまで来てしまいました。おもしろい。

大学院進学者のキャリア問題について考え始めます

今日の大学院ゼミでは、言語学の話を少し置いておいて、研究者のキャリアについての問題について話し合いました。

終身雇用、正規雇用が当たり前だった社会が崩れて若者のキャリアパスが不透明になってきたことが大きな社会問題になっていますが、研究者のキャリアにも今大きな混乱が起こっています。研究者というキャリアは専門性が高いだけに元々会社への就職とはかなり異なり、不確定な部分も多く運によるところも大きかったのですが、それでも、かつては選り好みをしなければたいていどこかの大学に常勤職を得ることができました。

ところが、最近は博士課程を修了しても専任の研究職ポストに就職できず、非常勤講師や短期雇用のポストドクターなどのポストを渡り歩き続ける—こうした苦境に置かれた若手研究者は少なくありません。「高学歴ワーキングプア」などと形容されることさえあるその状況は、異常なほど多くの若手研究者を巻き込み、社会問題化しています。(その実情はこんな創作童話によく語られています:「はくしが100人いるむら」

たいていの社会問題がそうであるように、「高学歴ワーキングプア」問題もさまざまな要因が複合的に関わって引き起こされていますが、一番大きな直接的なきっかけを作ったのが、1990年代から行われた国を挙げての大学院重点化政策だと言われています。

社会問題が複雑化し変化が激しい現代においては、社会のあらゆる領域において新しい知識・情報・技術の重要性が増してきています。そうした中で、大学院における高度な能力を持った人材の育成を強化することが国家レベルでの優先課題であるとされてきました。1990年代のいわゆる「大学院重点化政策」に始まる一連の施策の結果、大学院生数は約3倍に増え、毎年1万5千人をこえる人が博士課程を修了するようになりました。これらの数字だけを見ると、大学院強化の政策は功を奏したかに見えますが、増えた大学院修了者をどうやって社会に役立てていくのかという明確なビジョンなく改革が進められたため、増えた大学院修了者は行き場を失ってしまいました。

大学院修了者の大半は大学や公的研究機関での研究職ポストに就職することを希望していますが、昨今の経営効率化への強い圧力の中で大学の常勤ポストは増えるどころか減少しており、毎年多く生み出される博士号取得者の多くは就職先を探すのに大変苦労しています。

文科省ももちろんこの問題を重大視し、定職に就けていない博士号取得者に対しさまざまな支援策を打ち出していますが、この問題には大学の経営と教育体制の問題なども絡んでいて、一筋縄では解決できず、いまだ効果を上げるに至ってはいません。

大学院進学者のキャリア問題は、程度の差こそあれ、学問分野をこえて見られる深刻な社会問題で、政府や大学による積極的な取り組みが必要であることは言うまでもありません。しかし、一方で、そうした対策を待っていたり、取り組みが進まないことに抗議するだけでは救われません。

そこで、大学院のゼミの中で、そうした状況の渦中にいる若手研究者が主体となって変えていけることがないか、自分たちが変わることで新しいキャリアパスを創り出すことができないか、そんなことを真剣に話し合っていくことにしました。

この議論の輪に入って一緒に考えたい方、歓迎しますので、連絡をください。