実態から切り離された(disembodied)言語学

言語の研究潮流も多様なので簡単に一般化ができるわけではないが、概して今の言語学は、言語をそれが現象として表れる実態から切り離して捉えようとしている。

言語は、現象としては音や文字や手振りの連続で形作られた表現だが、それを生む本質的な体系は話者たちがもつ知識として存在している。個別の言語表現は知識としての言語システムの表れではあっても、個別表現の総体が言語とは言えない。言語はほぼ無限に新しい言語表現を生み出すことができる能力であって、その全容は特定の個別表現のセットとして定義できるものではない。

言語能力の全体が実際のコミュニケーションで使われる個別表現に限定されるわけではないことは異論のない事実である。しかし、問題なことに、今の言語学ではこれが妙な方向に拡大解釈され、言語能力が、実際の使用と社会の中での実態(実際のコミュニケーションの中でどのように使われているか、社会の中でどのように維持され、また変化しているのか)から独立したシステムであると認識されているようなのである。

まず、ある時点での言語の体系性(共時態)と形式や構造の形成と変化の過程(通時態)を切り分けて、言語知識を前者の問題と位置づけることで、言語システムの研究から歴史変化を切り離している。また、どのような言語表現を作りうるかという言語能力(competence)の問題と実際にどのような表現がどのように使われるかという言語使用(performance)の問題を切り分けて、言語知識を前者の問題として、言語使用を切り離している。

言語を時間的変化と実際の使われ方という2つのコンテクストから切り離す(decontextualization)ことは、言語研究の対象領域を整理し切り分け、研究方法を進化させるための作業ステップとしては有効であった。言語を歴史変化からも実際の使われ方からも独立した抽象的(disembodied)システムとして考えることによって、言語学者はシステムの変化や使われ方などの問題に煩わされることなく言語の構造的な体系性だけに焦点を当てて研究することができるようになった。

学問の世界では「科学的」であることが近代的学問である証であるという「科学コンプレックス」とでもいえる感覚があるようで、方法論や理論化の枠組みが「科学的」であるかどうかという議論がよくなされる。そして、今の「科学」は物理学あたりがモデルとなっていて、方法も、理論立ても物理学で使われているものに近いほど「科学的」であるように見える。物理世界の現象は普遍的一般ルールに支配されているため、物理学的な説明・モデルの良さ・正しさは、繰り返し検証できる(再現可能性が高い)、これから起こることを予測する力が高いことを基準として計られる。ところが、この再現可能性や予測可能性といった基準は、多くの人間が絡む社会現象や歴史的な蓄積の上に展開していく現象とは相性が悪い。

社会現象は、非常に多くの不確定要因が規則化しにくい方法で絡み合っていて、全く同じ現象が繰り返すということが起こりにくい。「歴史は繰り返す」とは言うが、それは非常に大局的に見た場合の話であって、全く同じ社会的な出来事や状況が繰り返し観察されることはまずない。そうした現象を対象にしている人文科学には、物理学的な「科学」の方法や説明を当てはめることが難しい。

言語も、多くの人のコミュニケーションの中で起こり歴史的に形成されていく社会現象であるという点で「科学」になじまない対象なのであるが、研究すべき対象から一回性で法則化しにくい歴史的変化や、これまた複雑で法則化して捉えにくい使用上の文脈の問題を切り捨てることができたのはたいへんな好都合であった。こうした問題のそぎ落としによって、言語学は時間的変化とも関係ない、文脈上のバラツキや複雑さとも関係ない、物理法則に近い一般規則から構成される自己完結したシステムを研究対象として切り出すことができた。「科学的研究」になじむ側面に集中することで、言語学は一般法則を捉える「科学的」方法論を研ぎ、理論化の枠組みを整え、「科学」としての地位を向上させていった。

研究対象の切り出しは、人間言語という複雑な現象を「科学」というまな板の上にのせてメスを入れ、科学によって征服しようとする上での戦略的勝利だと言えそうでもある。つまり、言語学は、言語現象のうち普遍的一般ルールで捉えられる部分だけを巧妙に取り出して、研究対象とすることにより、近代科学としてのステータスを構築したと。

しかし、慎重に考えてみれば、この対象の切り出しが行ったのは、結局のところ、普遍的一般ルールで捉えられそうに見える部分だけを恣意的に取り立てて、それを言語体系全体の本質と決めつけたことにすぎない。切り捨てられた時間的変化や文脈上のバラツキ・複雑さなどは文法システムの本質には関係ないとされているが、それは十分に論証されたとは言えず、あるべきシステムの形(「科学的研究」に都合のよいシステム)を念頭に置いてのつじつま合わせのように見える。

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