人は社会性の肥大によって生物学的基盤を越えた

食べ過ぎないように注意しなくてはと思っていて、特にどうしても食べたいわけではないのに食べ過ぎて、胸焼けがひどく苦しみながら思った。

人間って社会的な生き物だとつくづく思う。本来生きるための活動である飲んだり食べたりすることも、社会生活の中では本来の必要性を大きく逸脱する形で行う。

考えてみれば愛情表現としての性的な活動も、言葉が直接的な感情表出や単純伝達の範囲を大きく越えて発達したのも、この社会的側面の肥大化によるものだろう。

この「社会性」の核は何だろうか。思うに、フィードバックを通した学習という調整メカニズムによって実現される高度な同期・調和現象にあるのではないだろうか。相手からの反応を見て、相手との間合いを最適に保つように行動することで作り出される相互適合状態だ。

それは時に個体としての人間にとってはマイナスになることもあるが、巨視的には、一人ひとりの個人を越えたものを個人間に作ることを可能にする秘密なのだろう。

 

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